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名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)3446号 判決

原告

河津裕子

右訴訟代理人

山路正雄

被告

破産者伊原巌破産管財人

加藤茂

主文

1  被告は、原告から金八八〇万円の支払を受けるのと引換に、原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を引渡し、かつ同目録(一)の土地を明渡せ。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の、各負担とする。

4  この判決第1項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡せ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、その所有にかかる別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)を訴外伊原巌(以下「伊原」という。)に対し建物所有の目的で賃貸し(以下「本件契約」という。)、伊原は本件土地上に同目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有していたところ、伊原は昭和五七年二月二四日午前一〇時当庁において破産宣告を受け、被告が破産管財人に選任された。

2(一)  原告は被告に対し、昭和五七年四月一三日到達した内容証明郵便をもつて、同年一月分以降の賃料不払を理由として本件契約を解除する旨の意思表示をした。

(二)  賃借人が三か月分の賃料の支払を怠つたまま破産した本件においては、賃料支払の催告をするのは無意味であり、原告は催告なくして本件契約を解除しうるものと解すべきである。

3(一)  原告は被告に対し、昭和五七年四月一三日到達した内容証明郵便をもつて、民法六二一条、六一七条に基づき本件契約の解約の申入をした。

右解約申入には正当の事由がある。

(二)  従つて昭和五八年四月一三日の経過をもつて本件契約は終了した。

4  よつて原告は被告に対し、債務不履行による解除又は賃借人破産による解約の申入による本件契約の終了を理由として本件建物を収去して本件土地を明渡すことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実は否認し、同(二)は争う。

3  同3(一)の事実は認め、同(二)は争う。

4  同4は争う。

三  抗弁

1  被告は原告に対し、昭和五七年五月二一日到達した内容証明郵便をもつて、本件建物の買取を請求する旨の意思表示をした。

2  従つて本件建物の所有権は原告に移転しているから、被告は本件建物の収去義務はなく、また、被告は本件建物の売買代金(時価相当額)の支払を受けるまで本件建物の引渡を拒絶する。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の事実は認め、同2は争う。

五  原告の反論

1  本件契約は債務不履行により解除されたものであるから買取請求権は生じない。

2(一)  借地人の破産を理由とする解約告知により賃貸借契約が終了したときは、買取請求権は生じないものと解すべきである。その理由は次のとおりである。

(二)  借地人の債務不履行(賃料不払)により賃貸借契約が解除されたときは買取請求権が認められないことは殆ど異論がないが、これは借地人の債務不履行という違法性が強度であり買取請求権による保護に値しないからである。

ところで借地人の破産を理由とする解約の告知の効力発生は告知の意思表示の到達したときから一年後であるが、その間破産者あるいは破産管財人から賃料が支払われることは通常考えられない。本件にあつても、伊原は破産宣告前三か月分の賃料支払を滞つていたうえ、解約申入後も破産管財人から賃料の支払は全くなく、破産財団は皆無に等しいとのことであるから今後も永久に支払われることはない。

このように破産の場合は、むしろ多くの場合債務不履行に至ることが明白であり、実質的には債務不履行(賃料不払)により解除された場合と変りはない。

(三)  建物買取請求制度の主な目的は、借地人に建物の残存価値の回収をさせることにあるが、破産の場合には、建物代金は破産者の手には全く渡らず破産債権者の配当に供せられるのであるから右制度目的とはかけ離れた結果となる。

(四)ア  本件建物には、債権額を一〇〇〇万円とする一番抵当権が設定されており、現在抵当権者は安田火災海上保険株式会社ほか七社であるが、その残債権は、元金九五三万一二三五円ほか債権額一〇〇〇万円を越えており、極度額五〇〇万円の根抵当権(第二番)を有する株式会社アイチ商事も右極度額以上の債権を有しており、さらに仮差押、差押等が五件あり、これらの負担は総額約三〇〇〇万円に達しており、現在本件建物については当庁昭和五六年(ケ)第三三九号不動産競売申立事件(以下「本件競売事件」という。)が係属している。

イ  仮に原告が本件建物を時価で買受け代金を支払つても、原告は右競売手続により建物の所有権を失うおそれがあり、これを払拭するためには、抵当権者等に対し総額三〇〇〇万円の多額な支払をしなければならない。これは破産者とその抵当権者等が土地所有者である原告の犠牲のもとに不当な満足を得るものといわざるをえない。

ウ  本件競売事件においては、本件建物は昭和五七年一〇月以来八八〇万円(借地権なし)として競売に付され、特別売却まで試みられたが買受の申出は全くない。

エ  本件契約は終了しているので、本件建物を競落しても土地所有者たる原告に対抗しうる使用権限はないので、競落人は永久に現われないことが予想される。

かくては原告は本件土地から地代収入を得られないという不利益な状態が永続することとなる。

オ  本件の唯一の解決としては、原告自身が本件建物を競落することが考えられる。

しかし、いかに買取請求権の制度目的の一つに国民経済的見地があるとしても原告にとつては全く無価値な建物(土地所有者である原告にとつてはむしろ障害的存在といえる。)を競落しなくてはならないという負担、犠牲を強いられるいわれはない。

3  そもそも本件建物のように抵当権等負担のある場合は、まず売主である被告において右負担を消去すべきであるが、本件においては右負担は先に主張したとおり三〇〇〇万円にも達するので、被告は買取請求権の行使により、取得する買取代金額以上の出費をしなければならないこととなる。

ところが他に破産財団はないのであるから被告において抵当権等を抹消することは永遠に不可能である。

しかも先に主張したとおり本件建物が将来競落される可能性はない。

このような場合は原告で買取代金の支払を拒絶しても何らの利益にならない。

右のとおり、被告の建物買取請求は被告において自ら履行不能なことをあえて請求し原告に多大の不利益を強要するものであるから、被告の買取請求権の行使は信義則に違反しあるいは権利の濫用に当たり、許されない。

六  原告の反論に対する認否及び被告の再反論

1  原告の反論1は争う。

2(一)  同2(一)は争う。

(二)  同2(二)は争う。

伊原の破産財団は、本件建物を控除しても現在約二五〇万円ある。

(三)  同(三)は争う。

買取請求権の行使により破産財団が増加することはすなわち破産者のした投下資本の回収そのものを意味するのである。

(四)  同(四)アの事実は否認し、イないしオは争う。

3  同3は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二同2(一)の事実については、〈証拠〉によれば、原告が被告に対して差出した「賃貸借契約解除通知書」には、伊原が従前しばしば賃料支払を遅滞し、既に信類関係は全く崩壊していたこと及び伊原が破産したことを理由として、本件契約解除の意思表示をする旨の記載があることが認められるが、更に同号証によれば、同書面には、右契約は右書面到達後一ケ年を経過した日をもつて終了するものと思料する旨の記載があることが認められ、また右書面を原告の代理人として差出した原告の本訴代理人は、本件訴状において「民法六二一条、同六一七条にもとずき契約解除の意思表示をなし」たと主張していたものを、昭和六〇年六月四日付の準備書面をもつて初めて債務不履行と破産との二つの事由で解除した旨主張を「補正」したこと及び原告は解除の意思表示するにあたつて賃料支払の催告をしていないこと(原告の自認するところである。)に照らすと、原告の前記内容証明郵便は債務不履行による解除の意思表示を含むものとは解されず、請求原因2(一)については証明がないことに帰する。

のみならず、右通知書到達の当時、催告なくして本件契約を解除しうるほど賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめる不信行為があつたと認めるに足りる証拠はない。

従つて請求原因2は理由がない。

三請求原因3(一)の事実は当事者間に争いがない。

従つて本件契約は右解約の意思表示の到達したときから一年を経過した日に終了したものというべきである。

四1  抗弁1の事実は当事者間に争いがない。

ところが原告は被告が本件建物の買取請求権を有しないか行使することは許されないと主張するので以下検討する。

2  一般に土地賃貸借契約が債務不履行を理由として解除された場合には、借地人は借地法四条二項の建物買取請求権を取得しないものと解されるが、本件契約が債務不履行を理由に解除されたものでないことは先に説示したとおりであるから原告の反論1は失当である。

3(一)  原告は借地人の破産を理由として賃貸借契約が解約されたときは借地人は買取請求権を取得しないと主張する。

(二) 前記のとおり賃貸借契約が借地人の債務不履行により解除されたときは借地人は買取請求権を取得しえないと解されるが、これは借地法四条二項が借地人が更新請求権を有することを前提としていると解しうるという文理上の理由もあるものの、むしろ右のように借地人の責に帰すべき事由により借地権が消滅したのに、これに対し買取請求を許容するのは公平に反し、かような不誠実な借地人は買取請求権の保護を与えるべきではないという実質的な理由によるものと解される。

ところで民法六二一条が賃借人の破産の場合に賃貸借契約を解約することを認めたのは、このような場合は、賃貸人の賃料請求権の確保が危うくなることがあるので賃貸人を保護し、また破産管財人にも進んで賃料債務の負担を免れることを得させるためであると解されるところ、確かに、例えば賃借人が財政的に窮迫し、やむなく賃料の支払を滞つた場合と、財政的に破綻し破産宣告を受けた場合とでは賃借人自身の帰責という意味では余り変わりはなく、また賃貸人が民法六二一条により賃貸借契約の解約の申入をした場合、借地人が地上建物を所有しているときは、ただ単に借地人の破産の事実があるのみでは足りず、借地法四条一項但書、六条二項の正当事由が必要であり、右「正当事由の有無は、賃貸借契約の各当事者の自己使用の必要性のほか、破産宣告前の未払賃料の有無・その額、破産財団の賃料支払能力、開始された破産手続の推移、たとえば、和議または更生手続への移行・その成否の見込、賃貸人の立退料支払意思の有無・その額等の諸事情を考慮し、賃貸人に賃貸借関係の存続を要求することが酷な結果となるかどうかをも斟酌して、判断すべきである」(最高裁判所昭和四八年一〇月三〇日判決民集二七巻九号一二八九頁)から必ずしも賃貸人の一方的意思表示のみにより無条件に賃借権が消滅させられることはないのであるから、借地人の保護としては右正当事由の判断で十分であり、このような正当事由が存在するとして解約が有利である場合は、あえて建物買取請求権の保護までも与える必要がないとすることも考えられなくはない。

しかしながら、建物買取請求権は建物等に費した借地人の投下資本の回収をはかり、また耐用年数の経過しない建物の取毀しという国民経済上の損失を防ぐという目的から認められるところ、建物買取代金が破産管財人に支払われこれが破産債権者に配当されることも借地人が投下資本の回収をするのと同一視することができるし、また破産の場合にも建物買取請求権を認めることは国民経済上の要請に副うことは明らかである。これに反し、買取請求権を認めないとすれば、地主は借地人の破産によつて借地権の負担を消滅させることは莫大な利益を何らの出捐もすることなく享受することとなるのである。そして背信性の有無という点についても、賃料の不払は正に賃借人の最も基本的な債務の不履行であるのに対し、賃借人が破産しても、破産宣告後の賃料は財団債権として保護され、現実にも破産管財人から支払われる見込はあるのであるから(破産管財人としては借地法九条の二の申立をすることにより破産財団のより一層の確保をするため賃料の支払を継続することが十分に考えられる。)、賃借人の債務不履行と破産との場合を同様に考えることはできない。また解約申入の際必要とされる正当事由の諸要素は先に掲げたとおりであり、当然のことながら、債務不履行による解除の有効性(あるいは無効性)を基礎づける背信行為とされる事情(あるいは背信行為と認めるに足りぬ特段の事情)とは同一ではないから、解約申入が有効である場合には借地人を保護すべきではないと即断することができず、解約申入を認めたうえで買取請求権は肯認するということも当然考えられるところである。また借地法四条二項の文言も、必ずしも解約の場合に買取請求権を認める妨げにはならないものと解される。

以上を彼此勘案すると、借地人の破産により賃貸人から解約申入がされ、これが認められた場合には、借地法四条二項の準用により破産管財人は建物買取請求権を取得すると解するのが相当である。

(三)  原告は本件のように建物に対する抵当権が実行される場合は特に地主たる原告は非常な不利益を受けると主張するけれども、建物買取請求権の行使により成立する売買の場合も民法五七七条が適用されるから、一般に抵当権付建物の買取請求権を行使された地主は滌除の手続を終るまで買受代金の支払を拒むことができるし、また、〈証拠〉によれば、本件建物については、買取請求権が行使される以前に既に公売処分、強制競売、担保権に基づく競売が開始され、本件競売事件が現に進行中であることが認められるが、このような場合には、公平上、民法五七六条(又は五七七条)を準用して、原告は右競売手続が完結し又は取下等により終了するまで買受代金の支払を拒絶しうるものと解すべきであるから(大阪高等裁判所昭和五八年四月二八日判決、判例時報一一〇〇号八〇頁参照。)、結局原告としては右差押登記及び抵当権設定登記等が存する限りは代金支払を拒絶することができ、右支払拒絶権を行使して売買代金を支払うことなく本件建物の引渡を受けこれを自ら使用し、もしくは他人に賃貸するなりして利用をしうべきものであり、また、本件契約終了後右引渡を受けるまでの間、仮に被告が留置権の行使として占有しているのみでなく現実に本件建物を自ら使用し又は他人に対し使用させているのであれば、その間の地代相当額は不当利得として被告に対し請求しうべく、しかもこれは財団債権となるものと解される。

そして最終的には、例えば原告自らが本件建物をその借地権を伴わない正当な価額(後に説示するとおり結局本件の買取価額は本件競売事件での最低売却価額に等しい。)で競落すれば、原告は結局右買取価額で本件建物を取得できるのである。

してみると、本件において被告の買取請求権が認められても、原告はその主張する程の不利益を蒙るものとはいえない。

(四)  また以上の考察からすると、本件において被告が買取請求権を行使することが信義則に反し又は権利の濫用であるとはいえないことも明らかである。

4  〈証拠〉によれば、本件建物については、昭和五七年一〇月二九日以降最低売却価額(借地権なし)を八八〇万円として競売手続が進められていることが認められるので、他に特段の立証のない本件においては、本件建物の時価は右と同額であると認定するのが相当である。

5  以上によれば被告の買取代金との引換給付を求める抗弁は理由がある(原告は本来民法五七六条あるいは五七七条の準用により、右買取代金の支払を拒絶する権利があるのは先に説示したとおりであり、原告は右支払拒絶権を行使することにより被告の引換給付の抗弁を排斥しうるのであるが、原告は右支払拒絶権を行使するものではないことを本件第八回(最終)口頭弁論期日において明言したので、これを斟酌することはできない。)。

五以上によれば、原告の本訴請求は、被告に対し金八八〇万円を支払うのと引換に本件建物の引渡及び本件土地の明渡を求める限度で理由があるからこの限度で認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官満田明彦)

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